観察と探求
どうも!!とくりかです☺️
今日の淡路は、朝雨がパラついていましたが、午前中にはやみ、とっても暑い良い天気でした🌦️
旦那さんの元仕事仲間のご両親が、畑の隅に咲いているお花をくれたり、人参をくださったり、子どもたちはカエルやバッタやコオロギの赤ちゃんと遊んだり、チョウチョウを追いかけたり🤭巨大なめくじを発見したり!!😳
楽しい1日をすごしました🍀
トケイソウのお花、はじめて見た!!
本当に時計みたい😆💕
今日は、私が子どもたちとすごしていて思うことを書こうかなぁ〜と思います☺️
私は、子どもの頃、観察するのが大好きでした。
隣が祖父母のお家で、庭があったので、
虫もたくさんいましたし、植物もたくさん生えていました。
アリやクモやダンゴムシを、ひとりで何時間でも観察したりしていました😄
その観察好きは、今でも継続中(笑)
今は子どもたちを観察しています😄
楽しい🤭🤭🤭
私が子どもたちを見てきて思うことがあります。
それは、子どもって、自分を疑うとか否定するとか、そういう感覚はもともとはもってないんじゃないか…?ってことです。
自己否定も自己肯定もなく、
ただただ自分であるだけ。
そこに、大きくなるにつれて
親の価値観、先生の価値観、社会の価値観が上書きされていく。
だから、どんなふうに接するのがいいのかはいちいちいろいろ迷いながら考えますがね☺️
日本は先進国の中でも、極めて自己肯定感が低い国だと言われています。
自殺者は年間3万人…
この根っこにある問題はいったいなんだろうなぁ〜と思うわけです。
自己肯定感が高いのがいいとされる風潮もありますが、もちろんそれは正しいことなのでしょうが…
自己肯定感が低いのがダメ!!となると、それはそれで辛く感じる人もいるかもしれません。
高いも低いもなく、ありのままに生きてる子どもたちを見ていると、
このまま大きくなったらどうなるんだろうなぁ〜なんて思ったりします。
なるべく子どもたちを否定することはしたくないなぁ…
私が、ものすごく自己肯定感が低かったので、どんな環境で育つと自己肯定感が低くなるのかはなんとなくわかる。
目の前にいるのは、自分とは全く違うふうに育っている子どもたち。
私はいろいろコンプレックスの塊だったけど、
子どもたちはコンプレックスをあまり感じていないように見える。(本当のところはどうなのかわかりませんよ)
我が家の長女ちゃん10歳。
この子、小指の太さが右と左で全然違うんですね。(倍まではいかないけどそれに近いくらい。)
でも、それをコンプレックスに感じることなく、神様がユニークに造ってくれたと思ってる😆💕すごいなぁ〜!!✨
私は、指と指の間の水かきみたいなのが広すぎてめっちゃコンプレックスだったけどなぁ…
針金みたいな髪とか、エラの張ったベース型の輪郭とかもね(笑)
問題解決能力?みたいなものも、もともともっているのかなぁ〜と思ったりします。
ケンカしても、
しばらく
どうやって解決するのかなぁ〜なんて観察してると、
ぶつかり合いながらも、お互い言いたいこと思いっきり言い合っても、わけわかんなくなっても、最終的には解決したりとか、もとに戻ってる!!みたいなことが多々あります。
そこに第三者のジャッジが入ると解決するどころかこじれたり、表面的な解決はしても誰かの中にモヤモヤが残ったりするような気がする。
そんな感じで、子どもたちを観察しているといろいろ発見があって楽しい😆
自分が今まで経験してきたこと
家庭内不和
イジメ
身近な人の自死
などなど…
そして、子どもたちとすごしてきて感じること学んだことなどなど…
そこから、いのちの根っこについて私は探求したいのかもしれません。
多少の嵐でも倒れない、根っこがしっかりしている生き方とは?みたいなね😌
自殺者が出ない国、社会になるためにはどうしたらいいのか?
子どもたちが安心して暮らせる社会とは?
とか、自分の視点でいろいろ考えてみたいです。
何か面白い発見があったらまた書きます🤭
とくりかの探求は続く…
今日も読んでくださってありがとうございます☺️