お別れ
どうも‼︎とくりかです😊
すごく久しぶりの投稿になってしまいました…
なんか、いろいろあったんですが…
なんか書けなくて…
自分の内側でいろんな感情が湧き上がって…
少し落ち着いてきたところです😌
いろいろあったんですが、
今日はおばあちゃんとのお別れの話を書こうと思います。
3月半ばに、
そろそろおばあちゃんが危ない…
もってあと1週間くらい…
と、東京の父から連絡がありました。
もう、寝たきりでほとんど意思疎通もできないから帰ってこなくてもいい…と言われました。
でも、おばあちゃんと生きてる間に会いたいなぁ〜
って思ったので、急遽東京に会いに行くことにしました。
3月17日(金)、淡路島から東京へ。
3年ぶりにおばあちゃんと会いました。
東京に住んでる妹と弟と一緒に。
おばあちゃん、寝たきりでほとんど意思疎通も難しい…と言われていたのに、
素晴らしい笑顔を見せてくれて…😭
認知症ゆえに、孫だとは認識していないけれど、話もできて…😭
歌まで歌ってくれました…😭😭
なんか言葉ではうまく言い表せないのだけれど、
深いところで通じている…
そんな感覚でした。
弾丸で東京へ行き、たった2日間の中でも、短い短い時間でしたが、
実際に会って
手を握って
身体を優しくさすって
言葉を超えて繋がって
会いに行って本当によかった。
それから、淡路島に帰ってきてからも
妹が毎日おばあちゃんのところに通ってくれて
ビデオ通話を繋いでくれて、
毎日おばあちゃんとお話しして、
3月25日、天国へと旅立ちました。
この日は、妹がずっとおばあちゃんのそばにいてくれて、
ビデオ通話を繋いでくれて、
おばあちゃんが好きだった歌を、私がギターで弾いて歌ったり、
思い出話をしたり、
感謝の想いを伝えたりしながら一緒に時間をすごして、
最後の一呼吸まで見届けることができました。
最後ね、
妹と
「ママによろしく〜」
って涙涙でお別れしました。
3月25日…
18年前の同じ日、
私の母が天国へ行った日です。
おばあちゃん、もってあと1週間…って言われてたのに、
10日くらいがんばって、
娘と同じ日に逝ってしまった。
なんというタイミング…(奇跡✨)
おばあちゃんの人生は、とても順風満帆ではありませんでした。
おばあちゃんには、3人の子どもがいたのですが、1人は2歳の頃に病死。もう1人は自死。最後に残った私の母も先に亡くなってしまい…(おじいちゃんもだいぶ前に亡くなっている)
母が亡くなった後、おばあちゃんショックでおかしくなってしまって…
幻覚幻聴、ひどい認知症の症状が出てしまい、
眠れない、ご飯食べられない、水も飲んでくれない、娘のあとを追おうとしてしまう…
で、誰かそばにいないと危ない…ってことで、
私、しばらくおばあちゃんと暮らすことにしたのです。
夜寝れないし、土足で家の中走り回るし、幻覚幻聴でまともに意思疎通できないし、ご飯押し入れに隠してたり、失禁した下着タンスに仕舞い込んであって発見するたびに洗う日々だったり、トイレの洗剤飲んじゃったり…
母が亡くなった直後から、次から次にいろんなことが起こって…
母の思い出や寂しさに浸ったりするヒマなんてなかった😅
あの頃は大変だったけど、
今はすべてが愛おしく感じる。
おばあちゃんが辛かったとき、あのときを一緒にすごせてよかった。
私も若くて、あまりの意思疎通のできなさにイライラしたり、大きな声出しちゃったりしたこともあったし、幻覚幻聴を「そんなことないよ!」って否定しちゃったり…
(今なら「そうだね〜」って受け取ってあげられるのになぁ〜)
あんまりうまいこと対応できなかったけど…
でも、あのときを一緒に乗り越えてきたから、
おばあちゃん、私が会いに行ったとき笑顔で喜んでくれた…そんな気がする。
いろいろあったけど、最後まで生き抜いたおばあちゃんはカッコいい‼︎
ほんと尊敬する。
今ごろ、天国でおじいちゃんと子どもたちみんなに会ってるかな。
おばあちゃん、92年間本当にお疲れさまでした。
孫より
どうも、お読みいただきありがとうございます😌