とくりかのブログ

淡路島でホームスクーリングをしています。4人の子どもたちとともにすごす何気ない日常のこと。その中で思ったことや気づいたこと。その他…などをつづっていこうと思います。

忘れられないことば

どうも!!とくりかです😊

 

 

早いな〜!!気づけばもう11月も半ばに近づいていますね〜

 

最近ふと思い出すある人のことばがありましてね。

 

なんか、書いてみようかなと…

 

 

 

 

「3人の宝物を産んでくれたんだから。それだけで、ありがとう…」

 


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これは、ある人が亡き私の母に向けて言ってくれたことばです。

 

 

私の母は、51歳のときに末期のガンで天国へ行きました。

 

病気がわかってから4ヶ月…あっという間にあちらへ逝ってしまった。

 

 

 

母は、どうしてもやり遂げたいことがあって、それに取り組んでいた…

 

そんな最中のことでした。

 

 

志半ばで逝ってしまった…

 

 

子どもたちの結婚や出産も見届けることもできず、

 

いろいろ心残り…だっただろうな…

 

 

と思っていました。

 

 

 

母の両親は外交官だったので、インドネシアに行っており、

 

祖母に育てられた母。

 

 

小さい頃から甘えたりワガママ言ったりできずに、言いたいことが言えない…そんな母でした。

 

辛いことがあっても、弱音を一切吐かない。

 

全部自分の中に溜め込んでしまう人でした…

 

 

もっと幸せに生きてほしかったな…

これが私の本音でした。

 

 

苦労ばかりの人生だった母…

 

 

成し遂げたかったことも成し遂げられず、

 

 

母の人生って、いったい何だったんだろう…

 

 

と、24歳の未熟だった私はそんなふうに思ってしまったのです。

 

 

 

でも、葬儀が一段落した頃だったかな…

 

ある人が(誰だったか覚えてないんですが…😅家族で親しくしてたおばさん)

 

 

 

「3人の宝物を産んでくれたんだから。それだけで、ありがとう…」

 

 

と、涙ながらに言ってくれたんです。そのことばだけがずっと心に残ってる…

 

 

 

当時、はっきり言ってハタから見たら、とても立派とは程遠い、むしろ、問題児…と見られてもおかしくない状態だった私含め3兄妹。

 

 

私は、思春期に精神的に壊れて高校中退、18歳で家を出、妹も友達の家を転々と泊まり歩いて家に寄りつかない、一番下の弟は中2で不登校。それ以来完全に人に心を閉ざしたまま…

 

 

心配や迷惑をかけまくりました…😅

 

 

 

そんな状態だった私たち3兄妹のことを

 

 

 

 

「宝物」だと言ってくれた…

 

 

 

 

世の中…立派な人や成功してる人、輝いている人、何かすごいことができる人に「宝物」ということばを使う人は多いでしょう。

 

でも、その人は

 

 

全然すごくもないカッコよくもない状態だった私たちに、「宝物」ということばを使ってくれた…

 

 

なんか泣けてね…😭

 

 

母の人生をそんなふうに思ってくれる人がいたこと。

 

 

私たちのことをそんなふうに思ってくれる人がいたこと。

 

 

すごく救われた気持ちだった。

 

 

本当にありがとうと言いたい。

 

 

 

私も、なんてことない普通の主婦だけど、

 

4人の「宝物」を産み出すことができて、

それだけでも幸せな人生なんだろうな~

 

いろいろあるけどね🤣

 

 

今日も読んでくださってありがとうございます😉👍


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